恋におちたシェイクスピア

お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」

いやいや、そんな映画やないやろと軽い気持ちで夜中に録画しておいたのを観た。

ぐいぐい引き込まれて、ああ、身分違いの恋は成就しないとわかってるのに、

シェイクスピアがこの恋を作品に成就させるんだろうなぁ、とわかってるのに、

この切なさはなんだろう。

なんせテンポが良い、音楽が良い。

シェイクスピアの戯曲が劇中劇とストーリーの中で交錯して

私が観てるのはつくりごとなのかつくりごとの中のつくりごとなのか、

不思議な感覚。同時代の観客席に座らされたような気分。

えらい存在感のあるエリザベス一世まで登場して

なんとにぎやかな世界。

江戸時代の昔に、国も文化もちがうのに、

人の世のあれやこれやは胸をうつ。

やがて訪れる辛い別れは、観ている者にとっても

一度は経験しただろう、もしかしたら別の未来があったかもしれないけど

選ばなければならなかった決別。

苦い涙と後悔をかみしめながら

分かれた者からの愛情と祝福に浸って慟哭するが、

やがて前を向いて力強く歩いて行くヒロインは

かつての自分なのだ、

でも彼女の美しさとりりしさは永遠に作品とともに生きていくのだ

ということに少しうらやましさを感じながら

取り戻せない過去をこんなに美しくしてもらえたら

と思いながら滂沱の涙をしたたらせるのでした。

気がつけば還暦もう戻れない還暦

保育士の資格もなんなく取れた

ピアノを習わせてくれた親に感謝~

そして教員免許が期限付になったので

講習受けるだけではつまらないので

特別支援の教員免許と学校司書の免許もとった。

相変わらずの非常勤ぐらしとときどき派遣社員

気がついたら子どもはそれぞれ働いて結婚したりしなかったり

手がかからなくなった

ようやくと思ってお声かけて頂いたところで

念願の常勤職を楽しい、しんどい、おもしろい、と堪能していたら

自営業の婚家が手が足りないといまさら戻ってこいとはいわないが

こっちから手伝おうかと言わせるあたりなかなか狡猾

泣く泣く来年もこの調子でお願いしますとトップ面談でありがたい

お申し出をいただいたのに、せっかくですが、非常勤にしていただけますかと

お願いして、向こうも絶句、こっちも絶句。

春から三足のわらじ生活してたら、むかしのよしみで

ちょっとしごとせえへん?とお声かけあり。

呼ばれて拒むわけじゃないが、のこのこ手を出す自分が悪い

でも役に立てたら嬉しいもんで、ついついがんばっちゃった。

疲れたな。

コロナのまっさかりにふと始めたフルートがどハマりし、

ずっと個人レッスンに通い、念願のモーツァルトのコンチェルトを発表会で

演奏して、ますます楽しくなってきたのに毎日練習できない。

年を取るとのみこみが悪くなるので、上手になりたかったらやはり

毎日少しでも楽器にさわらないと、と思いつつ、一週間さわらない日がでてきた。

編み物も,孫がうまれたので、いまこそ編んであんで編みまくろうと思ってるのに

日々の家事で時間いっぱい。

さて何を削ればよいのかな。

来年早々に還暦を迎える丙午。

なのにいまさら塩漬けになってた行政書士を登録して仕事してほしいとか

まあ運命はなかなか私を休ませてくれないわけだな。

四足目のわらじ、履こうか履くまいか

ここが思案のクリスマス

人徳のない為政者の元でおこるこの大災害について

青山繁晴さん、かなりヒートアップ気味ですが、さすがにこの日本史上最悪の為政者についてはもう辛抱たまらんという様子がうかがえます。

しかし、東日本大震災以後の大混乱について、この無能力者のおかげでどれだけの人が迷惑を被ったのでしょう。

またしても無駄な視察に東北に出向く、と発言した途端にそれを拒むかのようにまた大きな地震が起こってしまった。
なんてオカルティックに考えてしまう。

早寝早起き朝学習

今週のお題この春始めたいこと

そろそろ非常勤ぐらしから足を洗ってきちんとした定職につきたいと考えているが、まだ長男がこの春から中学生なので、彼が高校に進学したときによいしょっと足を踏み出せるように、ちょいと視覚の勉強を始めようとしている。

行政書士で開業したらええやん、という声も多いが、私はいわゆる「雇われてなんぼ」のキャラクターで、到底独立開業なんぞできゃあしないと思っている。

しかし、少なくともこの一年で目的の資格がとれなかったら、それも考えようかと思っている。
っていうか、登録しちまえばいいんだが・・・

と懊悩しながら資格学習のために教材は揃った。

「ダ〜イエットは明日から〜」という戯れ歌ではないが、ずるずる明日から明日からと伸ばしてきたが、この春、長男がいよいよ受験に向けて勉強を始めるのに併せて、母も夜更かし生活から足を洗い、環境に優しい朝日で勉強することにしました。

試験は8月。さあて、やるぞ!

2010年版U-CANの保育士過去&予想問題集

2010年版U-CANの保育士過去&予想問題集

人助けとは

もともと評判のよろしくない我が国の首相と電気会社について、八つ当たり気味に海外で酷評しているそうで。

しかし、人助けってのは、求められて動くものであって、勝手にものをやってちゃんと受け取れっていうのなら、イヤゲモノと一緒やん?

困ったはる人やお国の手を煩わさないで、してあげたい、と思う施しをすることが本当のボランティアであり、援助でしょ?

受け取り方が悪いだの言われてまでもらうほどお乞食な国柄になったわけでもあるまいて。

贈答の文化が違うんだな。

もらい手がもらえる手をだせないほど困ってるってことがわからないのかな?

世界ってこんなに日本人の常識とかけはなれた常識がまかり通ってるんだなぁ、と少し思う。

しかし、政府なり東電なり、こういう批判を受けるまでモタモタしてるってのも格好の悪い話だなぁ。

被災地でどんどん救える命が失われていってるのは事実なんだから、なんとか努力してほしいけど。って私には何もできないからせいぜい募金箱で協力しかできないんだけど。

放射能に対する日本人の基本的楽観性のおおもと

欧米では偏西風にのって日本から放射性物質が飛散して明日もないような大騒ぎしています。

日本人も、関東ではそこそこ放射線被曝を心配する動きが出てきましたが、まだぬるい。

もともと60年ほど前に広島と長崎にごっつい量の放射能まき散らされて、焼かれただれ、のたうちまわって死ぬ人々、姿さえ残らず消え去った何万の人々を知っている民族と、戦略の名のもと、希釈された情報しかもたず、過去に自分の祖先が何をしたが知らない欧米人がなにぬかす、というどっちらけた気分があるんじゃないかな。

広島も長崎も、知らない、知らぬふりをする欧米人たちに、せめて60年前の無念のうちに無くなっていった人々の恐怖と悲しみの一部でも思い知ることがあればよい、と思ってしまう。

そして、日本人も、そのことを忘れかけていたのだ。

過ちを繰り返しませぬ、とのたまいながら、その大きな犠牲を傷む気持ちがうすれていたのだ。

電気がなければ生きていけない。
何によって生きているか、もう一度思い直して生きよう。